思い出を振り返るといつも思う、長いようで短かったのか。短いようで長かったのかと。
ラクロス部での日々も、そうだ。
つい先日、新歓でラクロスという競技を知り、みんなと出会ったと思うかもしれない。しかし、四度の夏を超え、三度の冬を経験し、そのすべてにたくさんの数えきれず、言い表せない充実した思い出がある。
今年度学習院大学ラクロス部男子副将を務めました、四年の柴田太陽と申します。
日頃より学習院大学ラクロス部男子の活動にご支援、ご声援をいただいておりますOBOGの皆様、保護者の皆様、学校関係者の皆様、その他大勢の方々にこの場を借りて感謝申し上げます。
今後とも変わらぬご支援、ご声援のほど、何卒よろしくお願いいたします。
引退ブログに書くこと無くなっちゃうな、こいつこんなこと思ってたんか、そんなことを思いながら(時には泣きながら、)同期のブログを読んでいた。そしたら、いつの間にか自分の締め切り日が近づいていた。最近の練習中以外の時間は、ブログに何を書こうかを探し続ける日々だったかもしれない。
まあそんなかっこいいことや、他人の心に響くようなことは書けないから、いつか自分が大学時代にあんな熱くなって頑張っていたラクロス部での活動ってこんなだったなー、こんなこと思ってたなって思い出せるようなものになればと思い、ラクロス部で過ごした四年間の振り返りと、後輩やこのブログを読んでる人に少しだけ伝えたいことを書き留めます。
簡潔にまとめよっかなーて思ってたけど、蔵部が長ければ長いほどいい。っていうから本当に長くなっちゃいました。思い出せること全部書いてます。こんな長くなるとは思いませんでした。拙くまとまりのない文章ではありますが、最後まで読んでいただけたら幸いです。
高3の二月とか三月に、ラクロス部の体験会あるらしいけど行く?朝の7時半かららしいけど。そんなことを誰かに言われたのが最初だっただろう。なんだその早い時間は!シンプルにそう思った。けど、仲良いやつも何人か(はたぼーとかいたなー)いたし、運動は好きだったから、まあ暇だし行くかくらいの気持ちで、体験会に参加した。馬鹿みたいに寒かったし、眠かったけど、全く触れたことないスポーツで、パスがつながったらうれしかったし、こうきさんに褒められたからか気分が良かった。
そんなこんなで新歓期間になった。みんなあんまり知らないと思うが、当初俺は体育会に入る気なんてほとんどなかった。テニサーでも入って大学生らしく遊んでやりたいことやるだけの生活をしたいって考えてた。家族も体育会入ってどうするの?って感じだった。
でも蓋を開けてみれば、しっかり新歓してて楽しそうだなって思った団体は数えるほどだった。その中でもジェネラルズとラクロス部は活気が違った。ほんとにかっこよかった。
どの部員と話しても、目がキラキラしてて、夢を本気で語ってる姿、部活外でもつながってる“仲間“なんだろうなって一年生ながら憧れた。
迷いに迷ってラクロス部に入部を決めた。迷いすぎて、輪になって手あげるやつできなかったのはいまだに後悔してる。
どれくらい俺のことを必要としてくれてるのか、新歓最終日にラウンジに当時の四年幹部が俺のためだけに集まって、説得してもらったのは、今思えば本当に生意気でおかしなことだと思う。けどあの選択が、人生で一番良いと思えるような選択だった。
(修吾さんは、新歓期間中から俺ら内部生のことはうざいなーって思ってたらしい。サンマルクありがとうございました。)
入部してから、はるさんや、大介さんに出会って日本一に本気でなりたい、いやなるんだって気持ちになった。
コロナであんま対面授業がなかったのもあるが、一日三時間くらいは高架下にいたし、多いときは六時間とかの日もあった。それくらい練習してもやり足りなかったし、やればやるだけうまくなるのが本当に楽しかった。
でも、合宿で俺だけそれまで呼ばれてた上級練呼ばれなくて、こうきさんに直談判したけどダメだった日はほんとに悔しかった。(大介さんに、その日はグラボの日とか言われて、午前練全メニューグラボだったのもやばかった。)
その後の、サマーではパッとしない結果で、ユースにも選ばれなかった。チームが負けたのも悔しかったけど、一番は同期がユースに選ばれてるのに、って思って悔しかった。えいちとなんで蔵部が選ばれて俺ら選ばれないんだよって愚痴ってた記憶もある。
それからウィンターまでの日々も変わらずラクロス漬けの日々をおくった。
高架下でたくむと二人で、一言もしゃべらないけど黙々とシュート打ち続けたし。ある日は、動画取り合って、この動きなんじゃね?って指摘しあった。
チームが二部降格した時、本気で俺ら一年が使えなかったせいだなって思ってた。迎えたウィンター立教戦で三得点決めてウィングでグラボして個人としては活躍した。
けどチームは予選敗退。はるさん達を関東一にさせられなくてほんとに悔しかった。ウィンターの活躍でユースには選ばれたが少ししてすぐに留学にいった。一年生が終わった。
二年生になり、アメリカでは現地チームの練習をフェンス越しから見てるだけで、ラクロスは思うようにできず、毎日毎日ただただ筋トレだけしてた。けんしん、こうせいとは違い絞って帰ってきた。ずっと早く帰りたいな。ラクロスしたいな。そればっかり考えてた。
帰国後、オフェンスをするつもりだった。でも、そんな思いとは裏腹に、オフェンスが多かったのもありショーディになった。この時はディフェンスの組織理解もできるし、少しでも戦力になってくれると思われて、変えられたと思っていた。
しかし、現実はそんなに甘くなかった。いつまでたってもツーマン対応は下手だし、タケルさんはもちろん、しょまたんにもスコ抜かれする始末。
オフェンスができるようなショーディになりたかったけど、えいきさんには勝てないし、雪太郎とかえいちのほうがシンプル上手かった。
この時期は、同期が四年生と一緒にオフェンスして、厳しく求められてるのを見て、うらやましがってた。一向に練習でも試合でも使わない、パスとかシュートの自主練もおざなりになっていた。
今考えれば、8月にチームに復帰してその年のリーグ戦に二年生が出場できることがおかしいとは思うけど、二試合だけ出場させてらった。結果はさんざん、俺のせいで失点したし流れを変えられて危ない試合にしてしまった。東洋戦で修吾さんとのツーマンミスで決められた時の修吾さんの「あーまじかー」みたいな目は忘れられない。
でもそんな俺を、23チームは見捨てずアドバイスもいっぱいくれた。
強みだったグラボをエッッだなーってタケルさんとかに褒めてもらったときはほんとにいい人たちだなって、救われてた。
この人たちなら一部に行ける。来年一部で、オフェンスで活躍できるって思ってた。
甘かった。負けた。ボコボコにされた。一部ってこんなにもレベル違うのかと思った。それ以前に、俺は何してるんだろう。リーグ戦いるために留学の時期も調整したのに、本当に何をしてたんだろうと。
オフェンスするならやんなきゃだよなって思って、この時ぐらいから冬は、毎週金曜日自主練に行くことが当たり前になった。
なんでかしょまさんは、ずっといたしジョーと雪太郎とずーーっとシュート打ってたなー、ジョーが茅ケ崎からきてんのに俺が行かないわけにはいかないよなって思って奮い立たせてた。
(雪太郎もこの時があったから今では人にシュート見せられるくらいにはなったんだと思う。)
三年生になった。もう上級生と呼ばれるようになった。12月くらいの最初のスクリメでしっかりB判定を受けた。何もできてはいなかったし、オフェンス復帰してすぐだったのもあるけど悔しすぎた。
この時ぐらいから自分のプレースタイルとか強みってゆうものを見つけようとした。
どのラクロッサーに聞いても、ブログとか読んでも、武器はもっといたほうがいい、プレースタイルを見つけたほうがいいってなってたから。
でもそれを意識したせいか、ここから一年間はずっと迷いに迷って調子もいまいち上がらず、上手くなってる実感がなかった。
まず二年の最後に行ったつま恋では、文字通り何もできなかった。
そもそもレギュラーに入れなかったし、ミスしまくったし、最後のほうは試合にすら出れなかった。留学から帰ってきたたくむはエースと呼ぶにふさわしい活躍をしてたし、セイタとか堀内もしっかり活躍してたのにもかかわらず。
チームは優勝したけど、全くうれしくなかった。
えいちと「何回アップすんねん」みたいなこと言ってふざけてたけど、本当にただアップをしに行ってるだけだった。
その後の練習でも、独りよがりのプレーして、ボールダウンされて注意されても、俺はフィジカルを生かしたほうがいいタイプだからとか理由をつけて続けたり。スタンシューを強みにするために打てるとこにいてつぶされたり。
でも、自分のスタイルっていうのが見つからず、チームに迷惑をかけ続けた。
その結果は、、、去年のシーズンを見ていたら明らかだったろう。リーグ戦では同期で唯一得点できなかったし、三年生としてあるまじきなんでもないところで、パスミスもした。パスカットも何度もされた。
二年生で出た堀内ですら点を取ってたのに。
もちろん、エキメンにもなれず、みんながイムをやったりいろんなセットプレーしてるのを見ては、とんでもない疎外感と無力感を抱いていた。
合宿では、点を決めたのに梅さんに「こんなん無いから、、」みたいなこと言われて、まじで許せなかった。(地獄のTTPパスもさせられて、ほんとにあの時は梅さんのこと嫌いでした。)でも、何も言い返せなかった。結果出してないし、何も誇れるものはなかったから。
やっぱり結果が出ないってつらく苦しい。この時期は正直ラクロスがあんまり楽しくなかった。そんな思いは初めてだった。
今思えば、わがままな思いだとも思うし、自分が何も努力をしていなかっただけであろう。でも悪循環を抜け出せずにいた。
そして、迎えた東大戦、もちろんスタメンではなかった。でも試合に出たら、活躍するつもりではずっといた。結果は、試合展開的に、俺が出れるような瞬間はなかった。
ボックスから叫ぶことしかできなかった。叫んだ。文字通り叫んだ。今までのどの試合よりも叫んだ。
でも負けた。
その瞬間俺たちの代で日本一になることは叶わなくなった。
俺もみんながブログに書いているように、何も考えられなかった。
涙も出なかった。
試合が終わって、少したってえいきさんと抱き合ったときに涙が止まらなくなった。前の年よりもひどかった。俺は一人だけ何もできなかったから。
試合にも出れてないやつが、図々しいかもしれないが、一人でオフェンスを束ねてくれたえいきさんに顔向けできなかった。ほかの同期は主力として試合に出て貢献してたのに。本当に悔やんだ。
あの試合あの景色は一生忘れられないと思う。間違いなく。
そのくらいの出来事だった。
それからの日々、ふとした瞬間にもう日本一は無理なのか、一部で戦えないのか。
その思いだけがずっとループしてた。虚無感だけが長い間抜けなかった。
そんなことを思っていても、着々と時間は過ぎ、代替わり。
副将を任された。
まあ何かしら、役職はほしいなとは思っていたけど、まさか副将とは。って感じだった。
中高で主将もやってたし、まあそうゆうの向いてるのかな、くらいに自分では思っていたけれど、いざいわれてみると素直に驚きだった。半年も部活いなかったし、どちらかというとチョけていた俺が?って感じだった。
でも、シンプルよしきに少しでも頼られてるのかなって思うと、うれしかった。
あと、同期ミーツで、たくむが最終的に俺を推してくれたのも結構うれしかった。
えいち、マジで副将やりたがってたのにすまんな。
まあ蔵部とよく言ってたけど、よしき、たくむ、じょーとか、辻村、えいちみたいなやつらだけだと、キッツい組織になっちゃってたから俺でよかったな。
よしきを少しでも支えながら、部員一人ひとりがどんなこと思ってるかを、俺になら相談してくれて、幹部である自分が知れて、それを踏まえて、より良い組織にできるような、そんな副将になりたいと思った。それが“等身大の副将”という言葉を掲げた理由だった。
でもその思いは結局ほとんど体現できなかった。
100人近い部活になってしまい部員一人の思いに寄り添って組織を動かすことの難しさにも直面したし、昨年度から行っている保護者会の活動、OBOG会の活性化、千歳橋中との交流などなど。
一部にいるチームだったら当たり前にやってるような活動でも、俺達には一個一個が模索しながらの活動で、ものすごく時間と労力を使った。
でもそれを言い訳にして、自分で掲げた目標を特に考えようとしていなかった。いや逃げていただけかもしれない。
ちょっと普段は話さないような後輩と話したり、絡んだり、飯に誘ったり、飲みに行ったりすればよかっただけなのかもしれない。
でもめんどくさがって、やらなかったのは自分だった。もっとみんなに興味をもっていろんな話をすればよかった。そうすれば、月末だけ現れる意識調査ニキなんて呼ばれることもなかったかもしれない。
でも少しだけ、副将としての自覚と責任というものはシーズン初期に比べたら、出たとは思う。
シーズン初期はよしきが結局決めちゃうからなとか、誰かがやるし特に不満もないから、いいやくらいに思ってた。甘えてた、ただそれだけだった。
でもいつかの組織グルかなんかで、よしきが「グルに入ってるだけで何も意見とか言わないならマジでいらないから全部独断で決めるよ。」って言ってきたときに、気づかされた。
俺に言ってたわけではなかったかもしれない。何気ない普通の愚痴だったのかもしれない。でも本当に響いた。
よしきは、俺が見ている仕事だけでも本当にえぐいなって思うくらい、組織のためにやってるのに、その一個一個の決断を、全部よしきひとりに押し付けて、任せていたのかと。
少しでも支えたいとか言ってたのに、何もしていない自分が本当に情けなかったし、不甲斐なかった。(まあ青学との合同練で何も言えなかったのも、少しは危機感持った理由の一つではある。みんなが書いてほしそうだったから、しょうがなく書くけど。)
それからは、前より意見とかアイデアとか出すようにした。(当たり前かもしれない。)何かと連絡とかも早く返すようにした。(これは、当たり前かもしれない。)練習でよしきがいなかったら、しっかりまとめられるようにした。(これも、当たり前かもしれない。)
こんなこと書いてたら、いやお前、何もしてなかったやんって思われるかもしれないけど、いつもよりしっかり意識して、一段階ギアをあげて、ってことね。
すべてはよしきの負担とゆうか孤独感を少しでもなくしてあげたかったから。よしきは、そんなのねえよって言いそうだけど。
そんな思いを持ちながら、日々活動してた。はたから見たら副将として特に何もしてないだろうって思われると思うし、実際そうだとは思う。でも自分の中では責任感は感じていたし。乗り越えたとは思う。
あーでも合宿は結構焦ったなー。
前日によしきが来れないってなったし、もう一人の副将は使えないだろうし、初めての菅平で分からないことだらけだし、本当に無事に帰ってこれるのか?まとめられんのか?って本気で思ってた。
まあ結果は、合宿係含め、みんなの協力があって問題も“ほぼ“なく(辻村君、羽田さんはほんとに許してないっぽいよ)終えられた。その経験を経て、やっと副将になれた気がしたのも事実。
少し話がそれてしまったので、選手としての自分の話に戻ります。
三年の暗黒期(?)を経て、最後の年、活躍しないと何も意味ない。そんなことを想いながら、練習してた。けど、結局自分の武器は分からず、時間だけが過ぎてった。
りょーとが上手すぎてまじで焦ったなー。セイタには、よく怒られたなー。うざかったなー、けど危機感を絶えずくれたことに感謝だな。
いつかの練習、ポジ別でフォロスラのメニューが入った。この時は、むずいなーくらいの練習メニューだった。でも、スーパーカップ前くらいからクリースで点が取れるようになってきた。正直この時ぐらいからラクロスが楽しすぎた。
結果が出せたから。点がとれたから。
俺はこれだって思えるようなものが見つかったから。
オフェンスのみんなは、俺より全然オンボールがうまかった。
それに、いいとこにパスも出してくれる。じゃあ俺はいいとこをとって、キャッチして、点を決めるだけだった。簡単になった。
スーパーカップでは9得点して、得点王にもなれたし、合宿でも一部相手に通用した。本当に自信になった。
たけとかセイタにオフボールもそうだし、キャッチもできてうまいなーみたいなこと言われると結構うれしかった。
梅さんが、わかりづらいけど期待してる感出してくれてるのもめっちゃうれしかった。
あと何気ない、ディフェンスからの、オフェンスが点とってくれるからクリア挙げようぜって言ってくれるのも、うれしかった。
まあこんな感じだったから、練習も楽しかったし、やる気もあったけど、普通にきついこといっぱいしたな。今シーズンも。
貴也さんも梅さんも、確かに三年までのころに比べれば優しく(?)なったとは思う。でも、夏なのに馬鹿みたいに走らされたし、GB15もやったし、挙句の果てには、入れ替え戦前なのにクソ走らされた。(二、三週間でビジュも変えさせられた。)
この調子そのままリーグ戦を迎え、昨シーズンではありえなかったスタメン入り。素直にうれしかった。
でも内心バックバクだった。また俺だけ点とれなかったらどうしよう。パスミスしたらどうしよう。そんなことばっか考えていた。
だから、農大戦で一点目取れた時は本当に安心した。それにこの点もポジ別で何回もやってた2ゴールシューまんまだった。(PUMP UP VIDEOに乗ってるシュートです。あやか、ありがとう。)
うれしさというか安堵だった。俺、このチームでリーグ戦で活躍できるんだ。そう思えたから。
えいきさん、俺点とれましたよ。
ここからのリーグ戦は、もう自分のやりたいようにラクロスをするだけだった。
試合前ルーティンして、眉毛ほぐして、AT三人でグータッチして、コウセイからのパスをジョーにはたけば、気づいたら試合は終わってる。
危なかった時もあったけど、勝って終わってた。
これまで練習試合含めて、ほぼすべてで得点もしてる。このまま、やるだけ。たくむのアシスト増やすだけ。(良大、俺クリースで点とるから。ケアしときな。すればするほど思うつぼだけど。)
全員がここまで、去年、一昨年みたいな思いをもうしたくないって本気で思ってたから、今シーズンもここまでこれたと思う。
でも、大事なのはここから。とゆうかここだけ。
三年が強いチームが、強いみたいなこと聞くけど、結局四年が勝たせるしかないでしょ。最初のワンプレーから最後のワンプレーまで、やるだけ。
俺たちが入部当初目指してた場所ではないかもしれない。でも最高の舞台だと思う。下手したらファイナル4とかよりヒリヒリしてるかもしれない。試合出てる出てない関係なく、両チーム部員一人ひとりが全員全身全霊をかけて臨んで試合をする。
それが入れ替え戦。独特な雰囲気があるかもしれない。その雰囲気にのまれる時もあるかもしれない。点が決まんなかったり、クリアが上がんなかったり。
後輩達、そんな時は迷いなく四年を頼れ。だって俺らはもう2回も経験してるんだから。全員が経験者、いつも通りやってくれる。てかやる。(たけととしきは緊張で死んでるかもだけど。)
“史上最強”の証明をしよう。
本当に長々と書いてしまいましたが、こんな四年間をこの素晴らしいラクロス部という、組織で過ごせたことを誇りに思います。
ここから、自分が思っていたことについて少しだけ、書こうと思います。
もう少しだけお付き合いください。
「責任」
これは、組織に属するうえで最も重要な価値観だと思う。
自分は高校までテニスをしていて、大学からチーム競技を始めたからこそ、人よりもその大切さを敏感に感じていたのかもしれない。
しかしこの考えは本当に大事で、それは技術的な面でも、組織運営・チームビルディングの面でも同じだと思う。
他人は自分が思っている以上に、自分のことを見ている。
練習であれば、毎日うまくなろうと努力しているのか、ミスをしたあとにどんな姿勢で次のプレーに臨むのか、怪我をしないように意識できているのか。
日常生活であれば、遅刻しないとか、他人に迷惑をかけないといった当たり前のこと。
そんな簡単なことと思うかもしれないが、実際には自分の気づかないところでできていないこともあるかもしれない。
ラクロスは、個人スポーツのように全員が試合に出られるわけではない。
試合に出られるのはチームの中でも十数人。その中に選ばれたなら、責任を持って努力しなければならない。もちろん、選ばれていない者はそれ以上に努力しなければならない。
怪我なんてしてはいけないし、体調不良もあってはならない。厳しいように聞こえるかもしれないが、自分の身体を管理できない人間を、他人が認めるはずがない。
それがチーム競技をする者の責任であり、責務だと思う。
そして、それらを徹底して初めて、人に認められ、尊敬され、憧れられる存在になれる。
そういう人が多いチームこそが、強いチームだと思う。
組織的な観点からも、これは同じことが言える。
組織に所属する者が、組織に不利益な行動をとることはあってはならない。
今シーズン、部ではルールや罰則など、さまざまな制度を整えた。
「ここまで決める必要ある?」と思うようなことまで定めたかもしれない。
よしきに対してヘイトが集まることもあったと思う。
でも今だからこそ言えるが、よしきは最後までみんなのことを信じていたし、本当はそんなことを言いたくなかったと思う。
それでも、組織をより良くするために、あえて言わなければならなかった。そう俺は感じた。
俺たちが1年の頃と比べて、ラクロス部の外からの見られ方はまだ大きくは変わっていないかもしれない。でも、それは一朝一夕で変わるものではない。
部員一人ひとりが「責任感」を持てるようになるまで、継続して取り組み続けなければ意味がないと思う。
内側から見れば、ようやく組織として機能し始めていると感じる。
後輩たちには、この流れを止めず、「学習院大学男子ラクロス部が憧れられるチーム」と言われるその日まで努力を続けてほしい。
結局、何が言いたいかというと——
誰かに決められたルールをただ守るだけではなく、組織の一員として、他人からどう見られるのがベストかを自分で考え、自分で行動できる人であってほしい、ということだ。
「ルールはモラルに勝てない」という言葉があるが、本当にその通りだと思う。一人ひとりが自覚と責任を持っていれば、ルールなんて本来いらない。
そんなチームこそが、「憧れのチームに、そして憧れの人に。」という目標を体現できるのだと思う。
こんなにも長い文章を、自分一人の手で書いたのは初めてなのでかなりまとまりのない文章になってしまったかもしれません。
でもまだまだ書き足りないことあるのが怖いなー。ほんとに充実した4年間だと思います。俊樹に太陽、順風満帆なんだから書くことないだろとか、萌香さんに人生イージーモードって言われてた俺ですが、思ったより苦悩してたのが伝われば幸いです。
やっぱり引退ブログ全部チャットGPTに書いてもらった修吾さんやばいな。俺ですらこんな書いたのに。
ここからはメッセージです。ほんとは全員に書きたいけど。長くなりすぎて俺も大変なので、抜粋した人にだけ。
両親へ
ただでさえ、子供が5人と多くて大変なのに、一人っ子の親より干渉してきてるんじゃないかって思うぐらいサポートしてくれて、本当に感謝です。
お父さんはほんとはテニスを続けてほしかったかもしれないけど、初めてレベルで俺が自分で選択したラクロス部の活動を、自分事のように応援してくれてありがとう。毎朝ごはんも作ってくれて、JLAのインスタの更新が遅くて愚痴ってくるくらいチェックしてくれて励みになってます。
お母さんは、伝説の「うちの息子をたたかないで!」の時から、応援席からだれよりも応援してくれていて、本当に愛を感じます。ラスト一戦二人に恩返しができるように、活躍します。応援よろしくお願いします。
はるさん、大介さん、大見さんへ
はるさんには箱根から何から本当にお世話になりました。なぜか10個くらいも歳が上の人に振り回され、圧倒される毎日でした。ラクロスの楽しさだけでなく、見るべき視座の高さなど、本当にいろんなことを教わりました。近々湯治郷でお会いしましょう。
大介さんとは、一緒にバイトもしたし、ほぼ同期みたいな距離感で接してくれました。俺たちのことがほんとに好きだったんだろうなー。いつも期待してくれてて、褒めてくれる大介さんに何度も救われました。モテタイ日記復活待ってます。応援団長もよろしくお願いします。
大見さんには、前も言いましたが、なんかの練習で、太陽だけ接点が違うんだよなー。重さと強さが。みたいなこと言ってくれたの、今でも覚えてます。
早稲田のディフェンスリーダーにそんなこと言われたので、それからずっと自信になってます。グリの試合も観に行きます。
オフェンスの後輩達へ
俺らが抜けたらほんとにレベルダウンしちゃうかもなー。心配心配。一年生も結構うまいからなー。
でも、みんなちゃんと努力できるやつらだし、頑張れるって信じてる。
セイタは、まずめだけど、ちゃんとみんなに求められるから、やめないように。けどウザがられないように、まあまずめだけど。五色湯いつでも行くぜ。
りょーとは化け物になりそうだな。せいたと両翼頼んだわ。背中たたきすぎないように。
ひろさと、小斎は、金曜日まだまだ会えそうだな。起きれたら行くから。考えすぎて、廃れんなよー、愚直にやり続けろ。
堀内、お前はやれ。小峰さんが言ってたの隣で聞いたの俺なんだから、全部投げ出して、やれ。
なつき(たいち)、同期少なくて大変だろうでもラクロスしてる時楽しそうだぞー、その思いのまま人外スタンシュー打ちまくれ。
同期へ
本当にこの四年間を充実した、素晴らしいものにしてくれた。これから消えることのないような仲間に出会えた。みんなに二日もあえないと寂しかったのに、これから不安です。全員が結局ラクロスが好きで、バカだったから誰一人として、早く引退してーって言ってるやつがいないのは、正直誇りです。あと70年くらいよろしく。ずーっと馬鹿なこと言って大爆笑してるんだろうな。ラスト一戦すべて出し切って終わろう。

わたるへ
まじで、ブログに俺へのメッセージなかったときは、あ、まじか。って思いました。本当にここに書くか迷ったけど、さすがに書きます。
まじでよく続けたと思う。それに尽きる。自分を変えたいって言って入ってくる奴は大体途中でやめたのにお前だけは残ったな。途中本当につらい時期(ケンポで飯食わされてるとき、倉庫前で飯食わされてるとき、腕立て300回してる時、肉離れした時)がいろいろあったと思う。俺だったら絶対廃れて投げ出してるところを、本当に頑張ったと思う。わたるですらやってんだから、やるしかないだろって何度思わされたことか。モチベーションの一つでした確実に。俺が言うのも変かもだけど、お前は、自分を変えれたと思う。圧倒的に。たくむが高架下で入れ替え戦前わたるのことはぶろうとしてるから、一緒にパスキャしに来いよ。
たくむへ
ちょーっと長い付き合いだなー。初等科から、いやワンちゃんもうちょい前からかも、何かと隣にいたかな。もしかしたら、お前がいたから、ラクロス部に入ったのかもしれない一緒にスポーツやってみたかったから。本当にあなたも変わったと思います。中学の時はあんな理不尽でクソガキとはこいつみたいな感じだったのに、今ではみんなをまとめて、自分も活躍してかっこいい存在(一年生にメロいとか言われる)になってしまったのに驚いてる。こんなこと言うのは恥ずいけど、正直部内で一番俺がお前に憧れてるかもしれない。
まじで、あと一戦、腰がぶっ壊れようとエースとして、圧倒してくれ。で俺にアシストも頼む。

よしきへ
本当にこの一年お疲れさまでした。俺たち副将がほんとに使えないせいで、たくさん迷惑をかけたと思う。それなのに、一人で背負って、全部を自分でやってくれていたこと、サポートはできなかったけど、尊敬してるし、すげえなってずっと思ってた。まじで弱みを見せないで、全員の先頭に立って、率先してチームを引っ張ってくれたこと、本当にかっこよかった。本当は、一番のガキでわがままで頑固なよしきは、はっちゃけたい時もあっただろうに、よく我慢したと思う。引退したら誰も何も言わないから、いっぱい酒とか飲んではっちゃけような!もう一度言うけど、本当に一年間お疲れ様でした。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
長くなりすぎてしまったけど、自分用だし、蔵部のせいなので許してください。
これで終わりたいと思います。
それでは11月16日大井ホッケー場でお待ちしております。
学習院大学ラクロス部男子 副将 柴田太陽

