【引退ブログ】4年AT 田中雄大

日頃より学習院大学男子ラクロス部の活動にご支援、ご声援をいただいております、保護者の皆様、OBOGの皆様、学校関係者の皆様に、そして学習院大学男子ラクロス部に関わる全ての皆様にこの場を借りて感謝申し上げます。今後とも、ご支援、ご声援の程宜しくお願い致します。

4年AT 元渉外長 田中 雄大です。
自身の7年間のラクロス人生を軽く振り返りながら思いのままに書きました。
かなり冗長に書いてしまい、とても稚拙な文章になっておりますが、優しい目で見ていただけると嬉しいです。

「ラクロスに興味あるのか」

中学3年生、岩倉高校の学校説明会後に行われた面談会の相手がラクロス部顧問の開さんで、渡されたパンフレットの端に映った見慣れない文字が気になりラクロス?と言葉を漏らした瞬間、開さんの目の色が変わり言われた言葉がこれでした。

熱烈な勧誘を受けとんとん拍子に体験を行い、当時1年の眞下さんや敬司さんにべた褒めされ、うっきうきのまま先輩たちの練習を見学。目の前で行われる先輩方の強烈なプレーを見て、この世にこれほど面白いスポーツが存在したのかと衝撃を受けた私はその日に入学、入部を決意しました。

このラクロスと開さんとの出会いが自分の人生を大きく変えたと今では思います。

しかし、入部してから1年たった頃、コロナにより部活動は停止。ろくな活動もできず、1人公園で自主練をする日々を過ごし気付けば3年。代替わり後すぐに、岩倉史上初めて海城高校に敗北し最弱世代と言われるようになりました。

ラクロスへの熱がなくなりかけていたこの頃、支えとなったのが学習院とヤマトさんとの出会いです。学習院との合同練習や開塾で、ヤマトさんがいたら毎回アドバイスをもらいに行くようにしてました。ヤマトさんからもらえる知識や技術が自身のモチベーションになっていました。

そんなある日ヤマトさんが不意に
「たけさあ、学習院来なよ!一緒にラクロスできたらおもろくね?」と言ってくださったのを覚えています。
学習院は当時1部リーグ。さらにヘッドコーチとして開さんも在籍していたこともあり興味はあった。

何気ない一言だったと思う。恐らくヤマトさん本人も覚えてないだろう。
けど進路など考えたこともない自分にとって大学でラクロスをするきっかけになった瞬間だった。

学習院で、ラクロスで日本1をとりたい。
そんな目標を立てたからか、より練習に火が付き、受験勉強にも励むようになります。

そんなこんなで、劇的な合格を決めてから1か月、根拠のない自信をもってみんなより一足先に上級生の練習に参加しましたが、そんな自信はすぐに打ち砕かれることになります。

技術、フィジカル、知識すべてが別次元に感じました。
大学生のレベル感は理解していたつもりでしたが、高校とのギャップは想像を絶するものでした。

そんなことをしているうちに、新歓が始まり化け物級の潜在能力とやる気を秘めた同期が続々と入部してきます。
シュート体験会でクロスに触れて数十分のたくむが自分より速いシュートを打っているのを見て正直引きました。

経験者が経験者としていられるのは夏まで。入学前に関さんの言っていたことが少しわかったような気がしました。
そんな焦燥感からか、上級練で差をつけようと取り組むもサマー目前にして鎖骨を骨折。人生初の骨折がこんなにも最悪なタイミングで訪れるとは考えもしていなかったです。

2か月の休養を終え復帰し、暗黒のロング期間を経ているうちに2年生になります。

1番記憶にあるのは5月に行われたあすなろカップの早稲田戦。ストーリングの警告に気付かなかった私のミスと切り替えの遅さをきっかけに連続で得点され1点差で敗北。最後の同期試合を自分のせいで台無しにしてしまった。この光景は今も鮮明に思い出す。

リーグ戦では同期が活躍する中、自身は目立った活躍はできずにいました。
オフェンスの人数が少なかったから出させてもらえてた、技術もフィジカルもゴミ以下だと、自分のプレーに自信を持つことはできていませんでした。

月日はそんな私を待ってはくれず、入れ替え戦を迎えチームは敗退。ひたすらにミスを怖がり、自分らしくプレーすることはできませんでした。やるせなさと劣等感は消えないまま次シーズンを迎えます。

3年生は地獄の日々でした。
きつすぎるラントレにアジリティ、さらにはBチームからのスタート。精神的にも体力的にも辛かったと思います。けどこれらを耐え、リーグ戦でAチームとしてプレーしたときは不思議と自信をもってプレーでき、千葉大戦での得点は初めてチームの勝利に貢献できたと実感できた瞬間でした。
自身の強みも、この頃になってようやく定まってきたように思います。

この期間、共にAに上がろうと切磋琢磨したくらべがいたから耐えることができました。ありがとう。
2人で突撃した大井多目的のファルコンズ練習は明確なターニングポイントでした。だいさんのピックはマジの壁でした。

しかしこの年の東大戦との入れ替え戦でも思うような活躍はできないままサドンデスで敗北。

2度、入れ替え戦で何もできなかった。そんな無力感に苛まれる暇もないまま25シーズン、4年としての代が始まりました。
シーズン開始早々、2回の骨折で約3か月の離脱と最悪なスタートを切った私を尻目に、チームはスーパーカップ優勝を始め、最高のスタートを切ります。自身が出ずとも完璧なオフェンスで勝利していく姿に、明確な焦りと不安が募っていました。

結局今年1年、チームにずっとおんぶにだっこ状態のままリーグ戦では無得点。直近の青学戦でようやく流れを変える1点を取れた時安堵したのが顔に出ていたのか、せいたに
たけさんホッとした顔してる笑 とからかわれましたが、点を取れた嬉しさとようやくチームに少しでも貢献できたと実感できた瞬間だったのでそりゃそんな顔にもなります。
情けない先輩でごめんね。

不思議なもので、この1年間が最も短く感じました(骨折していたからかもしれませんが)。気付いたら死ぬほど暑い夏を迎え、リーグ戦初戦を切り抜け、そうのすけが最終日に網戸をぶっ壊した記憶しかない夏合宿を終えたかと思えば入れ替え戦を目前に控え、今引退ブログを書いていく中、後輩達に何も残せるようなことはできなかったなと今になって申し訳なく思います。

この4年間、辛いと思うことは数えきれないほどありました。けどラクロス部を辞めようと思ったことは1度もありませんでした。

そう思うことができたのは、やはりラクロスが今まで経験してきたどのスポーツよりも好きだし、ラクロス部のみんなとプレーするのはもっと好きだからだと改めて思う。

どんなに辛いことがあっても朝頑張って起きて、グラウンドで同期の顔を見れば忘れることができた。先輩のプレーを見ればモチベーションが上がったし、後輩の活躍を見れば心の底から嬉しかった。

こんな自分でもラクロスを続けてきて本当に良かったと今、心の底から言える。ラクロスのおかげで人生が変わったと。

大袈裟かもしれないけど、みんなにもラクロスを続けたことで人生変わったと思えるような経験をして欲しいです。

だからこそ、今辛いなとか辞めたいなって考えている人は一回立ち止まってみてこんな比較をしてみてほしい。

同期とラクロスをして共に日本1を目指して過ごす今と、何もかも投げ出して遊びとバイト漬けの日々を送るか、どちらが「楽か」ではなく、どちらが「面白そうか」という観点で。

自分はいつもこの考えで重要な決断も辛い4年間も乗り越えることができました。
もし何かに行き詰ったときは参考にしてみてください。

最後に感謝と思いを伝えて終わりたいと思います。

コーチの方々へ。
特に秀でた面もなく、非常に扱いづらいプレイヤーだったかなと思いますが、最後まで面倒を見ていただき、ありがとうございました。皆さんの教えを無駄にしない為にも、入れ替え戦勝ちます。
梅さんからもらった帽子は一生大切にします。

開さん、水田さんへ。
このブログを見ていただけているかは分かりませんが、お二人に感謝を伝えなければこのブログは終われません。
お二人との出会いがなければきっと堕落したつまらない学生生活を送っていたと思います。ラクロスに巡り合わせてくださり、私の人生を変えていただきありがとうございました。最高の恩師です。

ハルさん、だいすけさん、おおみさんへ
常にラクロスの面白さを更新し続けてくれた方々。
ロングに転向したことは後悔してません。ハルさんと水田さんに憧れてたから挑戦してみたいとずっと思ってたし、よりラクロスの面白さが広がったなと思える期間でした。大介さんだけは最後まで自分のロング褒めてくれました。嬉しかったです。
あすなろでやらかした日、大見さんの言葉はずっと残ってます。入れ替え戦で魅せます。みててください

ちゅうさんへ
第二の父と思ってしまうくらい、ラクロスに関わらず様々な相談をさせていただきました。
伸び悩んだ時、いつもちゅうさんの言葉で救われました。ありがとうございました。

同期へ
全員に書きたかったけど長くなりすぎるので抜粋させていただきました。
蔵部
お互い入れ替わりで怪我とかで離脱することが多く、上で書いたように去年はお互いBチームでのあり方には苦労したよな。ボックスで蔵部の活躍を見る度に蔵部に負けないようにと毎日自分を奮い立たせてました。
勝手にだけどライバルだと思ってます。入れ替え戦、俺のアシストで点取って欲しいな。

ゆきたろう
ライブもカラオケも一緒に行く親友のような仲だよな、俺ら。毎朝つくばエクスプレスの改札から出てくるゆきたろうと行くようになって約4年。ゆきたろうの顔を見て、今日こそはこいつに1on1で勝つぞと意気込むのが私の日課になってました。
この朝の時間の会話数は4年間でも数えられるほど少ないことに最近気付いた。去年の入れ替え戦での帰り道、俺らひと言も話さなかった。いや話せなかったが正しいな。
今年は勝ってたくさん話しながら帰ろうな。一緒に帰ってくれるかは分からんけど。

けいすけ
けいすけが帰ってきてくれた時、本当に嬉しかったよ。
育成コーチを務めるようになって2年かな。本当は1年生に優しく接したいはずなのに、自分を抑えて厳しく接し、嫌われ役を買って出るその姿勢にメンタルの弱い私は憧れてるんです。俺らで言うだいすけさんの立ち位置を務められるのはけいすけくらいだと思う。お前はすごいよ、ほんと。
1年生、けいすけに優勝する姿を見せてやってくれ。頼むよ。ウィンター必ず見に行きます。勝ってガン泣きするけいすけ見るよ。

みんなへ。
入部当初はみんなにラクロスを上手くなってもらえるよう、頑張らなければと息巻いていましたが、ふたを開けてみれば私が影響を受けてばかりです。
結局同期で1番成長できなかったのは俺でした。本当に申し訳ないです。

ついに同期全員で望める試合は次が最後になりました。これまでラクロスを続けられたのもみんながいてくれたからです。同期試合では迷惑をかけた分、入れ替え戦で少しでも恩返しできるよう頑張ります。絶対勝つよ。

後輩プレイヤーへ
こんな話下手な俺にも話しかけてくれる(半分おちょくってる)最高の後輩達。
どの学年も、いい意味でも悪い意味でも素直な子たちだなと常々思います。正直に物事を言い合えるのも、すぐにアツくなっちゃうのもそれだけ本気で取り組んでるってことだよね。そんな姿を見てると俺ももっと頑張れると、これまた影響されていました。ありがとう。

特にさと。
さととのラクロストークは楽しかったな。
自分のうまくいかないところも、何故かさとには素直に話せた。考え方が似てるからかな。悩み方まで俺と一緒で、そんなさとに少しでも悩みから脱却するきっかけを作りたいと常に思ってたけど、ろくなアドバイスもできなかったな。ごめんね。
さとは自分のプレーの不出来さによく怒るけど、良いところを見つける努力も忘れずにね。
頼りない先輩だったと思うけど、いろいろと質問してくれて嬉しかったです。ありがとう。

ほりうち。
実は俺をなんでも奢ってくれる金づるとしか思ってないんじゃないかとたまに不安になるが、お前の訳わからんボケにつっこめるのもあと少しなんだと思うと寂しいな。
最近、ほりうちはラクロスへの熱を失いかけてそうで少し不安に感じてる。チーム随一のアジリティという強みを持ってるのに、それに経験と技術が追いついてないのがもどかしい。
ラスト1年、堀内にとってまた辛い1年になるかもな。それでも。毎日の練習をもっと大切に、学習院以外の練習に参加して知見を増やせ。
1年後、しっかりとやり切ったと、堀内の口から聞けるのを楽しみにしてます。もっと一緒にラクロスしたかったな。

スタッフの皆さん
高校までマネージャーのいない部活動を送ってきた私にとって、ボトルに水を入れてくれること、練習環境を整えてくれること、ASの出すスタッツを見れること、トレーナーのいる安心感、全てが本当にありがたいものでした。この先、面と向かって言えるか分からないのでここで言わせていただきます。
先輩、同期、後輩関わっていただいた全てのスタッフの方々、本当にありがとうございました。

両親へ
小中高大と合わせると15年間の部活動人生。休日返上で支えてくれて、感謝では表しきれません。小学校時代の野球ではろくに選手として活躍している姿を見せられず、中高では恥ずかしいからと試合観戦を拒否していたにも関わらず、朝練がある日は朝準備が遅い私のために、同じ時間に起きて弁当の用意や送り迎え、試合がある日は毎回応援のメッセージをくれ、お忍び観戦しに来てくれたこともありました。嬉しかったです。

両親の支えがなければ何度道を踏み外していたことでしょう。
大学に入りやっと両親がどれだけ支えてきてくれたかを認識し、少しでもプレーで恩を返そうと考えていましたが、まだ今年の青学戦の得点しか直接見せることができていないのが悔やまれます。
親不孝者で申し訳ないです。
少しでも恩返しができるよう、入れ替え戦勝ちます。見守ってください。

上手くまとめられなくて申し訳ないです。人に恵まれすぎていたみたいですね。
入れ替え戦当日まで、死ぬ気で走って、最高の準備をしてその日を迎えましょう

4年 AT 田中 雄大

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