日頃より学習院大学男子ラクロス部の活動にご支援、ご声援をいただいております、保護者の皆様、OBOGの皆様、学校関係者の皆様に、そして学習院大学男子ラクロス部に関わる全ての皆様にこの場を借りて感謝申し上げます。今後とも、ご支援、ご声援の程宜しくお願い致します。
拙い文章ですが最後まで読んで頂けたら幸いです。
4年前の自分が今の自分を想像できたのだろうか。
いや、全然できなかっただろう。
上京して、サークルに入って、普通の大学生生活をしていると思っていたが、
気がついたら冷蔵庫みたいな体になっていて、自分の身長よりもある長い棒を持って、防具をつけて,ほぼ毎日グラウンドにいた。
4年の本田健真です。
右も左もわからなかった入学時。とりあえず色んな部活、サークルの新歓に行った。沢山回った挙句、最終的にラクロス部を選んだ。
今思うと何でラクロス部を選んだのだろうか?多分なんとなくカッコいいからとかだった気がするなー。
みんな大体入学前からラクロス部について調べていたりするけど、地元でラクロスなんて見たことなかったら新鮮だった。
そんな適当な感じで入った俺だったけど、周りはみんな熱い奴ばっかで熱量が違ったし、すぐに差がついていた。日が経つにつれて自分のヘタクソさが顕著に現れ、同期の足を確実に引っ張っていた。
“まじで何で俺こんなことやってんだろう”
毎日が全然楽しくなかった。
そんなこんなでサマーが終わって、もう辞めようかなと思っていたときにロングに出会った。
あの時見捨てないでくれたハルさん、今は辞めちゃったけどロングを後押ししてくれたりゅうたには本当に感謝。あの時にロングじゃなかったらもう辞めているだろうなー
ロングでも下手くそだったけどまだショートよりはマシだった。クソガリガリだったから食トレで体も大きくなり始めて自分に自信がつき始めた。だけどウインターでは俺がマーク外してドブレイク作らせて逆転負け。チームに本当に申し訳なかった。
あの時号泣しながら「キリカエヨウ」って言ったのが今でも忘れられない。“誰が言ってんだよ”って思うだろう。実際、今思うとだいぶ切り替えたんじゃないかなー
2年になって上級練に加わると、まず練習についていくのに必死だった。
ロングがみんな怪我して一時期たかしさん、けんたさん、俺しかいない時があったり、夏のアジリティが地獄のようにキツかったりと結構苦しかった時間もあった。
でもその反面、試合に出る機会を与えてもらい、良い経験ができて嬉しかったし、ディフェンス組織でビデオ見するのが本当に楽しかった。
そんな感じで7月まで続けていたが8月から約1年弱、アメリカに留学するためチームを離れた。
留学先の大学ではNCAAレベルほどではないもののラクロスのチームに入る機会を得た。たくむも半年間一緒の留学先だったから一緒にプレーできて、一緒に練習後ジムでウエイトと壁あてをする毎日だった。結構楽しかったなー、たくむありがとう。
たくむが日本に帰った後でもその毎日をずっと続けられたのは良かったかな。
その後、シーズンが始まり試合にも出させてもらえて、とても良い経験になった。自由にラクロスができて、日本では感じられないことを感じることができた。あの時のラクロスはめっちゃ楽しかった。
3年になり、夏前に帰国してラクロス部に復帰した。
変にアメリカでつけた自信と共に復帰すると全く動けないデブになっていた。それまでは“体が大きければ大きいほど良いだろう”という甘い考えだった。マジで今思うとバカだったと思う。ただパワーだけつけるのではなくキレを上げるなど最大限に使えるような体にならないといけないと気付かされた。
そんな俺が試合に出られるはずがなく、リーグ戦は少しだけ出る機会があったもののほとんどずっとボックスにいた。
入れ替え戦では、負けて涙を流している仲間に対し、試合も出られずに何もできなかった自分が悔しかった。
そんな悔しさと共に始まった25シーズン。
毎日が必死だったし、心身ともにかなり疲れていた。
それでも
“入れ替え戦で勝つ”
この気持ちだけは忘れずに自分を信じてきた。
入れ替え戦で勝つためにもう限界までやるしかないな。
話は変わるが、4年間ラクロスをやって思ったことがあった。
3年のある日の練習後の全体集合で
「アスリートとしての自覚」
という言葉を当時育成コーチの翼さんから聞いたのをすごく覚えている。梅さんや貴也さんも同じこと言っていた気がする。
これは4年間の自分の中で一番大切なことじゃないかなと思う。
たかが大学生の部活、たかがマイナースポーツであるけどラクロスという競技を本気でやっている人はみんな立派な「アスリート」であると思う。
だけど自分が「アスリート」であることに対してどれだけ自覚を持っているか?そして「アスリート」としての行動ができているのか?
俺はこの自覚を持つことが自分の成長につながると思った。
翼さんの言葉を聞いてから自分を見直し、
食事では極力インスタントフードを食べない、睡眠は絶対に6時間以上はとる、練習後のダウンは欠かさない、毎日湯に浸かる、夏は水分、塩分を常日頃からとる、トレーニング前後のストレッチなどのことを継続してきた。
これを見ると結構簡単だし、“こんくらい当たり前にやらね?”と思うかもしれない。大事なのはその当たり前をしっかりと“継続”すること。結構続けるのって大変だよ。
自分は何か突出している能力があるわけじゃなくて、ゆきたろう、そうのすけ、レオ、新見のような、これだ!というような武器がない。だけど俺の唯一武器になるのは
“怪我をしない”
ということだ。怪我をしないって言ったら嘘になるが、4年間を通して練習を抜けたのは指で数えられるくらい。大怪我は一回もない。(めっちゃ対策したけど今年熱中症になってしまったのだけが悔しい。)俺があまり怪我をしなかったのは、怪我のリスクを少しでも下げられるように考えて過ごし続けていたのが大きいと思う。
あとこれだけは話しておきたい。
自慢?になるかわからないけど部内で一番体重を動かした自信がある。
クソガリだった1年サマー時は55kg、ウインター時に67kg、2年夏に72kg、2年冬に78kg、3年春に83kg、流石にデブすぎて3年冬に80kg、4年春に78kg、現在減量して75kg。ちなみに身長は173cm
4年間振り返ると約30kg動かしていた。増やしすぎて失敗もしたけど、俺が言いたいのは
“人は変われる”
と言うこと。すぐに変われるわけではないけど、これも同じだが継続をしていけば次第に結果が出てくる。俺は体づくりに関してだけど、これは全てのことに当てはまると思う。だから今を変えたいと言う人がいるならとりあえずやるべきことを継続すること。時間はかかるかもしれないけど絶対に変われる。
ここからは少しメッセージを残していきます。
同期へ
熱い奴らばっかですごくうるさい世代。毎日のように俺をいじるっていうか貶してくるけどみんな愛がある。言うことありすぎて書ききれないなー。4年間ありがとう。最高の同期だわ。
3年へ
せいた、堀内、しゅり筆頭にもうみんな俺をナメまくっているけどみんな素直で良い奴ら。せいたとは結構一緒にサウナ行ったり、堀内には買い物付き合わされたり結構思い出あるなー。みんなが1部の舞台で戦っているのが楽しみだわ。
2年へ
人数が少ない世代だけど、みんなそれぞれ個性があって面白かった。この代も俺のことみんなナメてたなー。たいち地元で飲み行こうな。浅井とせんじゅしっかり防具洗えよ。来年の笹子とレオのパワハラに負けるなよ。
1年へ
人数多くてガヤガヤしている世代。群馬県勢の話がクソガキすぎて一緒に話するの楽しかったわ。ここから色々辛いこと沢山あると思うけどこんな俺でも4年間できたんだからきっとみんなは大丈夫。頑張れ。
一つ上の先輩へ
この代の先輩にはだいぶお世話になりました。今シーズン先輩たちの引退ブログを何回読んで“よし頑張ろう”と思ったことか。絶対に去年の雪辱を果たします。
二つ上の先輩へ
俺が下手くそな上、留学でリーグ戦もいないのにもかかわらず、見捨てないでくれていてありがとうございました。少しは戦えるくらいにはなりました。入れ替え戦ぜひきてください。
ディフェンスへ
ゆきたろうがシーズン初めから“ディフェンスは家族”って言ってから一年経って、家族ほどではないけどだいぶ結束強まったんじゃないかな。今年も最高のディフェンス組織だったわ。ひとつ言っておくけど新見、レオ老害にはなるなよ。俺は気をつけていたから大丈夫だったけど、お前ら危ないぞ。あ、あと今年こそは罰金回収します。
最後に
25シーズンのキックオフミーツの時に“ラクロスを通してどんな人になりたいか?”と言う議題で太陽が聞き間違えて「家族“に”自慢できる人」と言っていたけど本当は
「家族“が”自慢できる人」
と言いたかった。ここまでラクロスを続けてこられたのも家族の支えが大きかった。地方から東京の私立に行って、一人暮らしをして、留学もさせてもらって、たくさんお金がかかったのにも関わらずずっと支援してくれた。時々心配して連絡をしてくれることが嬉しいよ。父さん、母さん、少しは自慢の息子になれたかな。本当にありがとう。
いつも独りかと思っていたが周りを見れば、家族、仲間、友達、学習院OB、バイト先など、たくさんの人が支えてくれていた。自分はこんなにも周りから恵まれていた。
本当にありがとうございました。
支えてくれる人たちの期待を胸に入れ替え戦に臨みたい。そこで掴んだ1部が支えてくれた人たちにできる最大の恩返しだと思う。
弱い自分だったけど少しは強くなったかな。
4年間ラクロスをこのチームで続けられて幸せでした。
待っていろよ11月16日。


